エゼ46:2「君主は外側の門の玄関の間を通って入り、門の戸口の柱のそばに立っていなければならない。祭司たちは彼の全焼のいけにえと、和解のいけにえをささげ、彼は門の敷居のところで礼拝して出て行かなければならない。門は夕暮れまで閉じてはならない」
45章あたりから頻繁に出てくるこの「君主」とはいったい誰のことなのでしょうか?祭司が彼の代理として全焼のいけにえと和解のいけにえを捧げています。英語では「prince」と訳されたヘブル語「nasiy(ナシー」は、統治者や長(おさ)という意味もあります。イエスキリストだと考えている人もいるようですが、そうすると神の子であるイエス様が全焼と和解のいけにえを捧げることとなり、贖う必要のないいけにえ は神の御心と矛盾します。イスラエルを治める誰かという意味ならば、首相よりも位の高い大統領というポジションがあります。大統領は国家元首であり、聖書の「君主」に相当するものです。2014年以降ルーベン・リブリンというパレスチナ出身の男性がイスラエルの10代目の大統領となっています。もし、エゼキエル神殿が千年王国の時代に建てられるのならば、イエス様が元首となられるでしょう。そうでなければ、エゼキエル神殿に最もふさわしい人が立てられ、油注ぎを受けイスラエルの統治者となり、エゼキエルの預言が成就するのだと思います。