サウルとその息子たち

1歴10:8「翌日、ペリシテ人が、その殺した者たちからはぎ取ろうとしてやって来たとき、サウルとその息子たちがギルボア山で倒れているのを見つけた」
歴代誌の最初9章にわたる系図の後には、いきなりサウル王の最期が描かれています。ダビデの親友ヨナタンはサウルより先に死んでいました。ダビデはサウルとヨナタンのために哀歌を作り、「サウルもヨナタンも、愛される、りっぱな人だった。生きているときにも、死ぬときにも離れることなく、鷲よりも速く、雄獅子よりも強かった(2サム1:23)」と歌っています。死んだサウルに対しては最後まで恨み言を語らず、主から霊を注がれた者として扱うダビデの態度には頭が下がります。さらに親友ヨナタンについては「あなたの私への愛は、女の愛にもまさって、すばらしかった(2サム1:26)」と最大の賛辞を述べています。サムエル記にはサウルの末の子イシュ・ポシェテだけは、戦闘に参加せず生きながらえ、サウルの将軍アブネルはサウルの死後すぐに彼を王とした記録が残っています(2サム2:9)。サウル王の後にイシュ・ポシェテが2年間10支族の王であったことは、系図の中にも出てこない事実です。その後イシュ・ポシェテは家来によって寝込みを襲われ、首をはねられますが(2サム4:7)、ダビデはこの首謀者にも厳しい態度で望み、手足を切り離し木に吊るしました(2サム4:12)。ダビデはサウル家に対して尊敬の念を忘れずに接したのです。