盛んにされているのを知った

1歴14:2「ダビデは、主が彼をイスラエルの王として堅く立て、主の民イスラエルのために、彼の王権がいよいよ盛んにされているのを知った」
「知った」に使われているヘブル語は「yada(ヤダー)」で、主がエデンで善悪を知ることがないようにと言われた「知る」と同じ言葉です。アダムがエバと結ばれたときも(創4:1)この語が使われ、ソドムで街の人がロトに「今夜おまえのところにやって来た男たちはどこにいるのか。(略)彼らをよく知りたいのだ(創19:5)」と言ったときにも「yada(ヤダー)」が使われています。日本語では「知る」と訳されていますが、原語ヘブル語では、もっと深い関係を指す意味も含まれています。もちろん「学ぶ」とか「認める」という意味もありますが、体験的に学ぶ意味が強く、ダビデが主がなされたことを「知った」のは単に主の奇跡を目撃しただけでなく、それが主の御心であり、ご計画の中にあるわざであると同時に主がダビデを愛しておられることを理解したのだと思います。ダビデは神と共に歩みましたが、バテ・シェバとウリヤの一件があり、完璧に神に従い通すことはできませんでした(2サム11章)。聖書の中にはエノクやエリヤのように、生きながらえて天に上った者たちもいましたが(創5:24、2王2:11)、ダビデモーセ(出2:12)はそれぞれ 殺人の罪を犯したためにそうなりませんでした。しかし、聖書にはダビデが主のなさることを「知った」ことが書かれているのです。