詩篇87篇 この民はここで生まれた」

詩87:6「主が国々の民を登録されるとき、「この民はここで生まれた」としるされる。セラ」
5節には「だれもかれもが、ここで生まれた(5)」とあります。シオンを一箇所だとすると、そこで生まれた者は数えるぐらいしかいないことになります。しかし、「だれもかれもが」シオンで生まれたとなると、シオンの言葉の定義を変えなければなりません。なぜならラハブ(エジプト)、バビロン、ペリシテ、ツロ、クシュなど、イスラエルの民でない者もシオンで生まれたとあるからです(4)。コラの子たちはなぜ、異邦の民、それもイスラエルとは敵対する民までもがシオンで生まれたと言っているのでしょうか。それは「わたしを知っている者(4)」にヒントがあります。「知る」のヘブル語「yada(ヤダー)」は、ソドムで神の使いがロトと過ごしていたとき彼らを取り囲み「男たちを知りたい(創19:5)」と言ったときの「知る」と同じ単語です。つまり、エジプトであろうがバビロンであろうが主を「知る」者たちは、国籍に関係なくシオンで生まれたと記録されるのです。シオンは主の都であると同時に、イエス様の建てる教会のことも指しているからです。コラの子たちが神の都には、神を知る者たちが加えられることを「すばらしいことが語られている(3)」と歌っています。シオンを教会とするなら、世界中どこの教会で救われても、主はその者をシオン生まれとして数えてくださるのです。