伝道者3章 人は神を恐れなければならない

伝道者3:14「私は知った。神のなさることはみな永遠に変わらないことを。それに何かをつけ加えることも、それから何かを取り去ることもできない。神がこのことをされたのだ。人は神を恐れなければならない」
「知る」のヘブル語は「yada(ヤダー)」で、頭で理解するよりももっと深く物の本質を見極めるときに使う単語です。アダムとエバは知識の木の実を食べたとき、自分たちが裸であることを知りました(創3:7)。このときの「知る」も「yada」が使われています。ソロモンが主から与えられた知恵を使って悟ったことは、神は永遠であり、神のなさることに人が手を加えたり、引いたりすることはできないというものです。化学は進み、人は多くのことを発見し、理解したように見えます。しかし、それは神のなさったことのほんの一部分を垣間見たにすぎません。人体の仕組みを見れば見るほど、その完璧なデザインに驚かされます。それでも、多くの人はこれは偶然にできたものだと主張しています。ソロモンは「人は神を恐れなければならない(14)」と言います。何を食べようが、飲もうが、それは人の自由ですが、まず生きているなら、自分の創造主を覚えていなければすべてはむなしいのです。伝道者の書の3章は「すべてにときがある」ということばで有名です。人が自分のタイミングを追い求める限り、人生はうまくいかないことを悟るでしょう。なぜなら、神のときは人が思うときと違うからです。すべての営みは神が備えられた「とき」が支配しており、人はその中でわずかの喜びを見つけるのです。