もっと飲みたいものだ

箴23:35「私はなぐられたが、痛くなかった。私はたたかれたが、知らなかった。いつ、私はさめるだろうか。もっと飲みたいものだ 」
ソロモンの時代は3000年も前ですが、酒によるトラブルはあったようです。聖書の中で最初に酒で失敗したのはノアでしょう。ノアは洪水から逃れ、新天地で新しい生活をスタートしようとしたときに、はめをはずしてしまうのです(創9:21)。酒は人を麻痺させ、ここに書かれているように殴られても感じなくなります。アルコール中毒から更生し立ち直るには時間がかかります。イエス様は、バプテスマのヨハネが断食するなら「あれは悪霊につかれてる」と噂され、自分が飲み食いするなら「食いしん坊の大酒飲み」だと揶揄されたことを弟子たちに語っています(マタ11:18-19)。イエス様もぶどう酒を飲んでいたようです。聖書は「酒を飲むこと」と「酒に酔うこと」を区別しています。概して酒を飲むこと は禁じられていませんが、酔うことがあってはならないと戒めています(1コリ6:10など)。ソロモンもぶどう酒が杯の中で輝くときに、それに目を奪われてはならない、と警告しています(31)。パウロは「酒に酔ってはいけません」と言い、むしろ「聖霊に満たされなさい」と勧めています(エペ5:18)。それはペンテコステのときに聖霊が下ってきたとき、酒に酔ったかのようになったことを示しています(使2:1-13)。同じ酔ったように見えるのなら、酒によらず聖霊による満たしで心が喜び踊った方が神の御心だと思います。