2コリント10章 比較したりしようなどとは

2コリ10:12「「私たちは、自己推薦をしているような人たちの中のだれかと自分を同列に置いたり、比較したりしようなどとは思いません。しかし、彼らが自分たちの間で自分を量ったり、比較したりしているのは、知恵のないことなのです」
「自慢」や「誇ること」は、他人と優劣をつけたい思惑が心にあるためです。イエス様は12弟子に対して「人の上に立ちたいと思うなら、みなのしんがりとなり、仕える者となりなさい(マコ9:35)」と言われました。なぜなら、12弟子たちはよく誰が一番偉いかを話していたからです(マコ9:34など)。ヨハネヤコブにいたっては、彼らの母がイエス様に直談判して、右と左の座に息子たちを着けて欲しいと願っています(マタ20:20ー21)。12弟子たちがそのような状態なら、コリントの人々が誇ったり、誰かと優劣をつけようとしても不思議はありません。むしろ、人が集まって生活していくなら、避けられない課題でもあります。ともすればパウロのことを揶揄したり、軽く見たりする傾向があるのです(10)。どうしても誇りたければ「主を誇りなさい(17)」は、究極の結論だと思います。「自分を高くする者は低くされ、自分を高くする者は低くされます(マタ22:12)」という原則は、いつの時代にも不変のものです。ただ、コリントの人たちの成長ぶりにはパウロも喜んでおり、テトスにそれとなく自慢しています(7:14)。それでも、パウロが自分自身を誇ったわけではありません。パウロが誇るなら、「自分の弱さ(12:5)」を誇るとさえ言っています。パウロは神がへりくだった者といてくだることをよく理解していたのだと思います(イザ57:15)。