2コリント12章 私の弱さを誇りましょう

2コリ12:9「しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現われるからである」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう」
ピリピへの手紙の中にある「私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです(ピリ4:13)」を思い出します。ダビデは6キュビト半あるゴリアテに恐れずに立ち向かいました(1サム17:4)。普通3メートルもある巨人に出会ったなら、恐ろしく足がすくんでしまうものです。それでも神がダビデの後ろにいて、彼を支えていることを理解していました。パウロは神が人を通して働くためには、自我が人の中で強くあってはならないと考えています。自分を殺して、神が肉の器を通して働くことが理想なのです。それは簡単に実現するようなものではありません。「弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難(10)」という、聞いただけでも嫌なものを乗り越えなくてはならないと書かれています。それゆえにパウロは喜んで自分の弱さを誇ると言うのです。その言葉の背後には、自分が弱くなれば主が強くなるという、神の原理が働くようになるという確信があります。パウロが急に自慢話をしたのは、コリントの人たちに誰かより優れているとか、偉いという愚かな考えを捨てて欲しかったからです。パウロはもう一度コリントを訪れることを明言しています。それまでに、さらにコリントの教会が成長し、以前のような汚れと不品行に再び染まってしまうことがないように願っています(21)。誇るなら主を誇り(10:17)、自分の弱さを誇って欲しいのです。