アモス5章 善を求めよ

アモス5:14「善を求めよ。悪を求めるな。そうすれば、あなたがたは生き、あなたがたが言うように、万軍の神、主が、あなたがたとともにおられよう 」
人の世界では善悪の基準は人や時代によって変わりますが、聖書で言う善悪ははっきりと定義が決まっています。「善」は英語で「good」でヘブル語では「towb(トーブ)」が使われNSAB訳では597回登場しています。神が天地創造されたときに、「光があれ」と言われ光ができました(創1:3)。そのときに神は光を見て「良し」とされました(創1:4)。それ以降神は自分の創造された者を見て「良し」とされています(創1:10,12,18、21,25)。「良し」はすべてヘブル語「towb」が使われ、アモスの言う「善」は神の目に「良し」とされることと同意です。また、エデンの園にあった「善悪を知る木」にも「towb」が使われ、やはり「善」の基準は神の目に「良し」とされることがわかります。人がどんなに正しく思えることでも 、神の目に「良し」とされなければ正しくないのです。何が正しく、善であるかは神の語られたことばと比較することではっきりします。もっと進んで神の前で「義」と認められるなら、正しい人となり得るでしょう(ロマ4:25)。パウロイエス・キリストを信じる信仰こそ神の義と認められるもので、それはすべての人に平等に与えられているのだと言っています(ロマ3:22)。主を裏切ってほかの神を拝むことを、主は忌み嫌っています。アモスの預言がイスラエルが悔い改めるきっかけになればと思います。