詩篇53篇 善を行なう者はいない

詩53:3「彼らはみな、そむき去り、だれもかれも腐り果てている。善を行なう者はいない。ひとりもいない」
パウロは「すべての人が罪の下にある(ロマ3:9)」という根拠にこの詩篇53篇と詩篇14篇(詩14:3)の「善を行なう者はいない、ひとりもいない」を挙げており、詩篇53篇も14篇もともにダビデが歌っています。新改訳では「義人(ロマ3:10)」と訳されていますが、「善」のヘブル語「towb(トーブ)」は「正しい」や「義」の意味を持ちます。天の下に正しい者だけなら、神は人を救う必要はありません。それゆえ神は人をあわれむために「肉」に閉じ込めたのです(ロマ11:32)。人が正しくいられないから神との関係は成り立つのです。「イスラエルの救い(6)」には2つの意味があると思い ます。ユダヤ人の回復と罪を悔い改めて救われる全世界のクリスチャンのことです。律法が罪を浮かび上がらせ(ロマ3:20)、罪を認め、悔い改める者には恵みも増すのです(ロマ5:20)。「神がいない(1)」という言う者たちには、恐れがなく、恐れのない者に神を知ることはできません。