マラキ3章 主は耳を傾けて

マラキ3:16「そのとき、主を恐れる者たちが、互いに語り合った。主は耳を傾けて、これを聞かれた。主を恐れ、主の御名を尊ぶ者たちのために、主の前で、記憶の書がしるされた 」
「わたしのところに帰れ(7)」と言われるなら「どうやって帰ろう(7)」と言い、「わたしのものを盗んでいる」と言われたら「どうやって盗んでいますか」と言い(8)、「かたくななことを言う」と言われたら「わたしたちは何を言いましたか」と答えています(13)。たとえ主のために行っていることでも自問し、主が喜ばれるかどうかを吟味するする必要があります。正しく行っているようでも「お前は盗んでいる」と言われるなら悔い改めなければなりません。あげくには「神に仕えることはむなしいことだ(14)」と、主に仕えることさえ嫌がり、高慢でたとえ罪の中にいても神から罰を免れるように思うなら救いようがありません(15)。これは主の前に道を整え(バプテスマのヨハネ)、契約の使者(イエス様)が 来るころの預言です。イエス様の時代でさえこうならば、再臨のときにはもっと世は乱れている可能性があります。それでも主に恐れる者には「主は耳を傾けて」くださり、「記憶の書」という聞いたこともない、おそらく天の神が覚えておられる正しい者の記録の本に名前が記されます。人がその書に名前を載せる権利も権威も持っていませんが、マラキにある口ごたえする者ではなく、主を恐れる者でありたいと願います。