マラき4章 父の心を子に向けさせ

マラ4:6「「彼は、父の心を子に向けさせ、子の心をその父に向けさせる。それは、わたしが来て、のろいでこの地を打ち滅ぼさないためだ」
これが旧約聖書の最後のことばです。「わたし」が来ることが書かれています。主ご自身のことです。新約の最後にも「わたし、イエスは(黙22:16)」という記述があります。時間は飛びますが、旧約の最後の「わたしが来て(6)」は、イエス様の誕生で成就しました。新約の最後「主イエスよ、来てください(黙22:20)」は、まだ成就していませんが、聖書が一貫してイエス・キリストを表していることは間違いありません。新共同訳では、マラキ4章はなく、3章と4章が続いた章が最後になっています。マラキ4章6節と言っても、ある教会では通じない可能性があります。そもそも、「章」という概念が定着したのが13世紀ごろで、カンタベリー司教ラントンの考えだした区分を多くの人が支持したことで始まりました。たとえ、マラキ4章6節が統一された聖書の区分でなくても、「わたし」が来るという最大のメッセージは変わりません。「打ち滅ぼさないため(6)」とは恐ろしい表現ですが、事実イエス様はこの世界を打ち滅ぼさず、ご自分の人生を通して、父なる神とどのように和解すべきかを示してくださいました。