創世記18章 隠しておくべきだろうか

創18:17「主はこう考えられた。「わたしがしようとしていることを、アブラハムに隠しておくべきだろうか 」」
アブラハムを選び出したのは「主の道を守らせ、正義と公正とを行なわせるため (19)」だとあり、主がソドムとゴモラを滅ぼすことを告げたのは、果たしてアブラハムに正義と公正を守る信仰があるかを見たかったのではないでしょうか? アブラハムはソドムにひょっとしたら正しい者が残っているかもしれない…と主に訴えます(23)。もし、正しい者が巻き込まれて死んでしまうなら、主の義が疑われることになります。しかし、アブラハムが50,40と数字を下げて行っても、主の答えは変わりませんでした(25-29)。ノアの時代も「その心に計ることがみな、いつも悪いことだけに傾く (6:5)」のをご覧になり、神は人を滅ぼすことを決めました。ソドムにも正しい者が10人でも残っていれば歴史は変わっていたかもしれません。主はソドムに行かれ、主が聞かれたとおりの悪がソドムにあるかを見極めようとしていました(21)。聖書には「ソドムとゴモラの叫びは非常に大きく (20)」と書かれ、主がゴモラに目を留められたのは「叫び」を聞いたことがわかります。それは神を信じ、神の正義を求める者がソドムにもいたことを示しています。おそらく、すべてをご存知の神がソドムの荒廃ぶりを見に行ったのではなく、少しでも救われる可能性のある人を見つけに行かれたのではないかと思います。