あのしるしのついた者

エゼ9:6「年寄りも、若い男も、若い女も、子どもも、女たちも殺して滅ぼせ。しかし、あのしるしのついた者にはだれにも近づいてはならない」
主はやみくもに滅ぼすお方ではありません。アブラハムがソドムとゴモラの街について主た語り合ったとき、もし10人でも正しい者がいたなら「滅ぼすまい。その十人のために(創18:32)」と言われました。また、黙示録では14万4千人が額に印を付け終わるまで「地にも海にも木にも害を与えてはいけない(7:3)」とも言われ、ちゃんと用意されたご計画があることがわかります。創世記の時代から黙示録の終の時代にいたるまで、主の判断がブレることはありません。主に拠り頼み、主だけが唯一の神であることを告白し続けるなら、天におられる主がその者を見落とすことなど考えられないことです。それだけ、エゼキエルに発動したこの命令は、主の忍耐の限界を超えたところにあったのだと思います。主が一度怒ったなら、容赦などありえないことです。そのために預言者を遣わし、イスラエルに度重なる警告を与え続けたのです。クリスチャンも日常の生活の中で、かすかに聞こえる主の声を聞き分けるべきです。もしわからなくても、今まで心に気づかなかった行ないや悪癖を聖霊の力によって知ることができます。成長には段階がありますから、いきなり人格が劇的に変わることは期待していませんが、女も子どもも容赦なく殺されるとしたら、早く気づくべきではないでしょうか?