公義を行なうべき

創18:22「その人たちはそこからソドムのほうへと進んで行った。アブラハムはまだ、主の前に立っていた」
主とアブラハムは他の2人が先に進んだために1対1になりました。神の前をさえぎることは、恐れ多いことです。主の怒りを買い殺されるかもしれません。おそらくアブラハムの心の中にはロトのことがあったのだと思います。主が全世界を滅ぼすと決めたときも、ノアの家族だけは滅ぼさずにおきました(6章)。それは主が正しい者を、悪い者といっしょに滅ぼさないという意味です。アブラハムは殺されるかもしれない危険を冒して、主に直訴しました。義なるお方は決して、正しい者を放っておかない(25)…アブラハムは自分の信念を確信に変えたかったのでしょう。確かに正しく歩んだ者の結末が悪い者と同じなら、どこに正義があるのだろう、と思ってしまいます。もし、このまま主がソドムの町に行き、さばきが行なわれるなら、正しい者たちも巻き添えを食ってしまい、公義が失われてしまうのではないか…アブラハムの心の葛藤は当然のようにも思えます。本来なら「わたしの甥ロトは正しい者です。彼だけは助けてください」と頼むべきなのかもしれません。アブラハムはあえて名前を出さずに主の公義に訴えたのです。アブラハムの執拗な訴えに主は寛容をもって応えています。アブラハムは主の寛容な態度を見て、さばきが正しく行なわれることを知ったのではないでしょうか。