ヨブ4章 霊が私の顔の上を通り過ぎ

ヨブ4:15「そのとき、一つの霊が私の顔の上を通り過ぎ、私の身の毛がよだった」
「霊」はヘブル語「luwach(ルアーク)」で、もともと「風」の意味があります。エリファズはその霊が近づいただけで、「骨々はわなないた(14)」と書かれています。しかも、霊が目に前にいるのに顔が判断できません(16)。圧倒的な存在感と畏れに出会ったとき、人は死んでしまうのでしょう。聖書にはヤコブ(創32:30)、モーセ(出33:11)、サムソンの父マノア(士13:20)がそれぞれ神に出会い死なずにいました。エリファズは夜中に眠りとも幻ともわからぬ状態で、神の霊と出会っています(13)。主の言われた「人は神の前に正しくありえようか(17)」は、ヨブだけでなくすべての人に対することばです。すでにヨブは子ど もたちと家畜、財産を失っています(1:13-19)。財産ならまだしも、子どもを失うことは親としてはいたたまれない思いです。最後には健康まで奪われ(2:7)、神に文句を言わない方が不思議です。いっそ殺してくれ…とは言いませんでしたが、「なぜ生まれたときに死ななかったのか(3:11)」とは言っています。ヨブとしては精いっぱいの神への反抗のようにも見えます。どう考えても不条理な状態で、ヨブはどのように信仰を守り貫くつもりなのでしょうか?