ヨブ13:13「黙れ。私にかかわり合うな。この私が話そう。何が私にふりかかってもかまわない 」
「黙れ」は非常に強い口調ですが、ヘブル語「charash(ハラーシュ)」は、「平和」の意味をもっています。うるさく言う友人たちには、そういう君たちは神から調べられても大丈夫なのか?と反論しています(9)。今までのヨブに対する3人の問いかけは、カウンセリングどころか「能無しの医者(4)」だと退けています。「私の言い分をよく聞け(17 」と、ヨブの反論が始まります。ヨブには神への確信がありました。それはたとえ殺されようとも、「神を待ち望み、なおも、私の道を神の前に主張しよう (15)」という言葉にも表れています。この確信がヨブを「救う(16)」唯一の道なのです。そして、もう一度信仰を奮い立たせてヨブは神に「私の不義と罪とはどれほどでしょうか (23)」と聞いています。これはエリファズに答えたときの「私の舌に不正があるだろうか (6:30)」という言葉に比べてかなり心が柔軟になってきていると思います。「なぜ、あなたは御顔を隠し、私をあなたの敵とみなされるのですか (24)」という言葉も、以前は「私にかまわないでください(7:16)」というものでした。確かに3人の友人の訴えは耳ざわりだったかも知れませんが、ヨブが反論するうちに何かがヨブの心で揺れ動いているのだと思います。