民数記11章 民がみな、預言者となればよいのに

民11:29「しかしモーセは彼に言った。「あなたは私のためを思ってねたみを起こしているのか。主の民がみな、預言者となればよいのに。主が彼らの上にご自分の霊を与えられるとよいのに」」
エルダデとメダデは、モーセの指示に従わず天幕に出ていきませんでした(26)。モーセの侍従ヨシュアは彼らの不従順な態度に預言をやめさせようとしますが(28)、モーセの着眼点は違っていました。そもそも事の発端はイスラエルの民が主に向かって不平を言い始めたことです(1)。民は労働もしないのにマナという食糧が与えられ飢えることはありませんでした。しかし、毎日同じものばかりで飽きてきたのでしょう(6)。突然「肉が食べたい(4)」とモーセに訴えます。これには、主の怒り は激しく燃え上がり、モーセも腹立たしく思った、とあります(10)。モーセが彼らに肉を与えることは事実上無理です。モーセは主にこんな訴えまで自分がかぶって、彼らをカバーしてやらなければならないのか、と主に直訴します(11-15)。その解決の一環にモーセの上にある霊を取って長老たちへに主の霊が注がれることが起きます(25)。モーセは主の霊が軽くなったことを感じ、主が約束されたことが実現したことを悟っていました。ヨシュアにはそのことがわからなかったのです。