詩篇14篇 悟りのある者

詩14:2「主は天から人の子らを見おろして、神を尋ね求める、悟りのある者がいるかどうかをご覧になった」
「悟りのある」のヘブル語は「sakal(サヘル)」で、愚か者(1)の「nabal(ナバル)」と対比しています。「sakal(サヘル)」には、「慎重深い」や「気配りのある」という意味があります。ただ賢い者を主が探しておられるのではなく、主の考える賢さには、控えめでへりくだる要素も含まれています。一方、「愚か者」には神を認めない姿勢があります(1)。傲慢で横柄な態度は、おのずと神を退ける態度につながります。聖書にはこの「愚か者」の意味を持つ「nabal(ナバル)」を名前に持つ男が登場します。アビガイルの夫「ナバル」がそうです(1サム25:3)。ナバルの親がどういう意図 でこの名前を付けたかはわかりませんが、ダビデとの間に確執があったことが書かれています(1サム25:3-19)。このナバルのダビデへの態度がまさしく、傲慢で横柄なものでした(1サム25:10-11)。主が天から探しておられるのは、ナバルとは逆の性質の者です。「善を行う者はいない(3)」はパウロも引用した言葉ですが(ロマ3:10)、結局「救い(7)」がもたらされなければ、この地上に悟りのある者はいないのです。悟りのあるものは救いを受け入れる者です。