詩篇53篇 天から人の子らを見おろして

詩53:2「神は天から人の子らを見おろして、神を尋ね求める、悟りのある者がいるかどうかをご覧になった」
神が天から見下ろすのは、神を尋ね求める者がいるかどうかを見るためです。この表現は予見者ハナニがアサ王に言ったこととよく似ています。ハナニは「主はその御目をもって、あまねく全地を見渡し、その心がご自分と全く一つになっている人々に御力をあらわしてくださるのです(2歴16:9)」とアサ王がアラムの王に拠り頼もうとした態度に釘を刺しました。予見者ハナニもダビデも、いつも神は天からご覧になり、心を一つにするような人を探しておられることを知っていました。詩編53篇は同じダビデの詩14篇とほとんど同じ内容で、パウロが「義人はいない、ひとりもいない(ロマ3:10)」を引用したことでよく知られています。ダビデがこの詩を歌ったときは、まだソロモンの繁栄もなく、国も2分されておらず、バビロン捕囚もされていません。それなのにイスラエルの救いを預言し、イスラエルの繁栄が元どおりにされることを歌っています。ダビデはやがて主を心から求める者がいなくなることを知っていたのでしょうか。二度に渡って同じ内容の詩が詩編に収められているのは興味深いことです。確かにイスラエルは主から一度は捨てられます。しかし、多くの預言者が預言しているようにやがてシオンは回復し、主の民は喜び踊るときが来るのです。