イザヤ35章 そこに大路があり

イザ35:8「そこに大路があり、その道は聖なる道と呼ばれる。汚れた者はそこを通れない。これは、贖われた者たちのもの。旅人も愚か者も、これに迷い込むことはない」
34章では「川」があり(34:9)、ここでは「大路」が描かれています。ともに黙示録の新天地の様子が頭によぎります。新天地では中央に大通りがあり、その中央に川が流れています(黙22:2)。その通りを通れるのは贖われた人たちで、額に神の名が刻まれています(黙22:4)。イザヤははっきりと「神は来て、あなたがたを救われる(4)」と預言しています。そして神の復讐が行われることも語られています(4)。神はご自分の血をもって私たちを買い取られました(使20:28)。これ以上神に何を望めるでしょうか?最大の譲歩は神の側からされたのです。しかも、それはされるはずのない神のへりくだりから来ています。イエス様は「神の在り方をを捨てられないとは考えず、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり(ピリ2:6-7)」と聖書にはあります。これほどまでに人にしてくださった方を信じる信仰によって私たちは贖われているのです(ガラ2:20)。最後に大通りを歩けるのは贖われた者です。