イザヤ53章 彼は罰せられ、神に打たれ

イザ53:4「まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと」
マタイによればイエス様を捕らえたのは祭司や律法学者の「ねたみ」が原因だと書かれています(マタ27:18)。イエス様は多くの癒しを行ない、バプテスマのヨハネに「目の見えない者が見、足のなえた者が歩き(マタ11:5)…」と現実を見るようにと諭しています。しかし、捕らえられてからはスピード裁判で、あっけなく十字架に架かっています(マコ15章など)。多くのユダヤ人が「イエス」こそメシアではないかと思っていたので、ある者は「十字架から降りて来て、自分を救ってみろ(マコ15:30)」と言い、またある人たちは心配してイエス様の後を ついて行ったともあります(ルカ23:27)。メシアならユダ王国をもう一度再興し、ダビデやソロモンのときのような繁栄をユダヤ人にもたらしてくれると考えるのはごく自然なことです。それゆえに、十字架の窮地をどうやってしのぐのかは注目の的でした。ある人はエリヤが助けに来ると思っていました(マタ27:49)。ところがイエス様は息を引き取るのです(ヨハ19;33)。死んでしまったらもうこの男に期待することはできません。結局「イエス」という男も所詮、人であり神から罰せられたのだ…と思われたでしょう。