律法の完成形

ガラ3:22「しかし聖書は、逆に、すべての人を罪の下に閉じ込めました。それは約束が、イエス・キリストに対する信仰によって、信じる人々に与えられるためです」
アダムとエバの時代は自由でした。禁じられたことはただ1つ、園の中央の木の実をふれたり、食べたりしてはならない、ということでした(創3:3)。神から与えられたたった1つの約束ごとも守ることができなかったのです。聖書の中には約600の律法があると言われていますが、律法すべてを守るように努力した時代もありました。イエス様がこられた時代がそうです。安息日は働いてはならない…そうして決められたのが2000キュビト以内の移動距離でした。これはトイレや日常に支障をきたさない最低限の距離であり、シナゴーグまでの距離1000キュビト以内に住まなければならない、という決まりでもありました。しかしどんなに細かく律法を定めても、違反者は多くいても、完成者はひとりもいなかったのです。律法を守るのは神と人が分離している状態です。一方、信仰によって生きる人は、神と人がひとつになることを示します。神と共に歩む…これが律法の完成形だと思います。