詩篇56篇 みことばをほめたたえます

詩56:10「神にあって、私はみことばをほめたたえます。主にあって、私はみことばをほめたたえます」
詩篇にある多くの表現は「御名をほめたたえます(44:8)」や「あなたをほめたたえます(71:22)」というものですが、ダビデは「あなた」でもなく「御名」でもなく「みことば」をほめたたえると歌っています。「みことば」のヘブル語は「dabar(ダバール)」が使われており、「ことば」以外に「行い」「物ごと」「話し」などの意味があります。これはダビデだけが考えた独特の表現で「みことば」をほめたたえると書かれているのは詩篇56篇だけです。なぜ神そのものを指してほめると言わず、「みことば」をほめたたえると言ったのでしょうか。主は「私のいのちを死から、まことに私の足を、つまずきから、救い出してくださいました(13)」とダビデを救い出しています。律法には「人は主の口から出るすべてのもので生きる(申8:3)」とあり、ダビデはみことばの重要性をわかっていました。また「初めにことばがあった(ヨハ1:1)」とあるように、イエスさまご自身が「ことば」だと表現されています。イエス様の伝承だけでは福音は廃れていったでしょう。聖書があるからこそ、後世の人が神を知り、救いを得ることができたのです。「みことば」をほめたたえるのは大賛成です。旧約の時代にすでに、みことばそのものが神であることをダビデが理解していたことがわかります。詩篇の中ではたった1箇所しかこの表現はありませんが、心に響く賛美の言葉だと思います。