詩篇90篇 がわざわいに会った年々に応じて

詩90:15「あなたが私たちを悩まされた日々と、私たちがわざわいに会った年々に応じて、私たちを楽しませてください」
「悩ます」はヘブル語「anah(アナー)」が使われ、「へりくだる」の意味があります。また「楽しむ」は「samach(サマーク)」で、「喜ぶ」という意味です。この二つのことばが対比され、悩まされたり、わざわいに会った分と同等の喜びをくださいと願っているようにも聞こえます。確かにモーセの人生は波乱万丈で、王の娘の子として育てられましたが(出2:10)、殺人を犯し(出2:12)、ミデヤンの地に逃げます(出2:15)。40年後、主と出会い(出3:4)イスラエルの民のリーダに任ぜられます(出4:12)。しかし、パロは強情で何度も嘘をつき、イスラエルを去らせませんでした(出5-14章)。それでもなんとか荒野に脱出したイスラエルはその後も事あるごとにモーセに不満を言い、そのたびにモーセは主に伺い問題を解決していきました。聖書を読むと、パロとの駆け引きよりも、イスラエルの民の不満を解決する方がモーセにとって重荷だったように思えます。千年(4)、齢70年(10)、日を数える(12)、わざわいに会った年々(15)など時間に関する表記が多いことからも、モーセが人生を振り返り歌っていることが想像できます。