アモス9章 わざわいは私たちに近づかない

アモス9:10「わたしの民の中の罪人はみな、剣で死ぬ。彼らは『わざわいは私たちに近づかない。私たちまでは及ばない』と言っている」
預言者の中にもわざわいは自分たちに起こらない、と預言した者もいました(エレ14:13)。おそらくそのころにはモーセ5書は存在しており、ユダヤ人ならばアブラハムモーセのことを知っていたはずです。誰もがモーセが神と語り合い、導かれたことを知っており、その後も預言者を通して主が民を導かれていると思っていました。それゆえに、主からのことばは、いつも民を正しく導くもので、さばきや滅びを語られることはないと先入観を持っていたようです。王の時代には宮中預言者がおり、王に主の預言を語り、その預言を助言として王も政策を決めていました。そのために、王の側近の預言者は主のことばを語るのではなく、王に都合の良いことだけを語るようになっていったのです。その代表的な話がバラムで、イスラエルをのろうように頼まれましたが、神の告げられたことしか言えないと拒否しています(民22:16-20)。時代が過ぎ、王が何代にも渡って代わるうちに、主が本当に語ったことばを告げる預言者は減ってきました。イスラエルの中ではエリヤとエリシャがアハブ王やアハズヤ王という最悪の王の時代に、悠然と王に立ち向かい主のことばを告げました。アモスの時代でも滅びが近づくことを知らせても、民の心は頑なだったのです。