エレミヤ7章 ベン・ヒノムの谷にあるトフェテ

エレ7:31「また自分の息子、娘を火で焼くために、ベン・ヒノムの谷にあるトフェテに高き所を築いたが、これは、わたしが命じたこともなく、思いつきもしなかったことだ」
トフェテの高き所がいつ作られたのかは書かれていませんが、ヒゼキヤがあらゆる像と高き所を壊した記述はあります(2王18:4)。ところがヒゼキヤの息子マナセが、壊したはずの偶像を元に戻してしまいます(2王21:11)。しかし、マナセの孫のヨシヤはヒゼキヤを上回る神への信仰を見せ、もう一度偶像を捨て去ります(2王23:5-8)。この際にベン・ヒノムにあるトフェテを汚し、モレクに子どもを捧げさせないようにしたとあります(2王23:10)。その後トフェテがどうなったかは書かれていませんが、ヨシヤが戦死した後(2王23:29)、4人がユダ王になります。エホアハズ(2王23:32)、エホヤキム(2王23:37)、エホヤキン(2王24:9)、ゼデキヤ(2王24:19)と、すべての王が「主の目の前に悪を行なった」と記されています。ユダ国はバビロン捕囚に遭う日まで、主の目にかなうことをしなかったのです。特にトフェテの高き所は主が「思いつきもしなかった」ほどに、背信の行為だったようです。それゆえに主はトフェテを「虐殺の谷」にするとエレミヤに預言を託しました(32)。トフェテはモロクに捧げる子どもの死体ではなく、主に従わなかった者たちの屍で満ちた谷となるのです。