2列王記24章 その罪を赦そうとはされなかった

2王24:4「また、マナセが流した罪のない者の血のためであった。マナセはエルサレムを罪のない者の血で満たした。そのため主はその罪を赦そうとはされなかった」
たったひとりのために、国全体が危ない目に遭うのです。ヒゼキヤが偶像を打ち壊し、主の目にかなうことをしても(18:4)、ヨシヤがいくら霊媒、口寄せ、その他主の忌み嫌うものを取り除いても(23:24)、マナセの悪いことはヒゼキヤ、ヨシヤの良いことより上回っていたのです。本来ならユダ国はとっくの昔に滅ぼされてもおかしくなかったのですが、「そのしもべダビデに免じて、ユダを滅ぼすことを望まれなかった(8:18)」とあるようにダビデのゆえにかろうじて滅びを免れていました。これは聖書に一貫して語られている法則です。最初はアダムによって罪が人に入り死にいたるようになり、キリストによって人は生きるようになりました(1コリ15:22)。ユダ国では「ダビデ」がユダを生かす者に対し、「マナセ」はユダを滅ぼす者になったのです。マナセの決定的な罪は「罪のない者の血まで多量に流し、それがエルサレムの隅々に満ちるほどであった(21:16)」とあるように、無実の人々を虐殺したことにあります。それなのにユダ国史上最長の在位だったのです。55年のあいだに(21:1)、マナセは独裁者となりあらゆる罪をユダに強いて、反抗する者は容赦なく殺しました。これを主は咎めておられるのです。