エゼキエル9章 額にしるしをつけよ

エゼ9:4「主は彼にこう仰せられた。「町の中、エルサレムの中を行き巡り、この町で行なわれているすべての忌みきらうべきことのために嘆き、悲しんでいる人々の額にしるしをつけよ」」
神殿の庭では長老たちが忌むべき像を拝み(8:10)、北の門ではバビロンの神タンムズを信仰し(8:14)、本堂の入り口近くでは25人が太陽を拝んでいました(8:16)。これでは聖書に書かれている神を拝む、まともな礼拝は期待できません。まだ神殿の外で何かを拝んでいる方がましです。主の臨在のある聖所のある神殿が汚されたのは、彼らが「主はこの国を見捨てられた。主は見ておられない(9)」と考えたからです。エホヤキンが捕囚されると同時に多くの者がバビロンに連行されました(2王24:14)。さらにユダ王にはバビロンが指名したゼデキヤが就いています(2王24:17)。これらを見て主から見放されたと勘違いしたのは無理もないことです。しかし、元をたどるとユダ国民がエレミヤやエゼキエルの預言に耳を傾けず、悪い行ないから立ち返ろうとしなかったことが原因です。ゼデキヤがバビロンに反旗を翻したのは11年目ですから(2王26:3-6)、6人の罰する者たちが暴れたのは(6)、バビロンの剣によって死ぬ前の話です。唯一の望みが額にしるしをつけられた者たちです。最悪の状況の中でも、主を思い、嘆く人たちが残されていました。