エゼキエル43章 自分たちの不義を恥じる

エゼ43:10「人の子よ。イスラエルの家が自分たちの不義を恥じるために、彼らに神殿を示し、彼らにその模型を測らせよ」
イスラエルが再建国し、ユダヤ人たちは神に立ち返ってハッピーエンドを迎える…というわけではなさそうです。祭壇を作らなければならない(13-18)ということは贖わなければならない罪があるということです。現在、イスラエルで律法を守り、聖書を重んじる生活をしている「正統派」は1割にも満たないそうです。多くは「世俗派」と呼ばれ、神を認めてはいるけれども、シナゴーグに毎週通ったり、礼拝を捧げたりはしていません。イスラエルにも離婚があり、ゲイの人たちがいます。どう考えても聖書の律法からはかけ離れた生活をしているように見えます。せっかく神が再び集めてくださり、他民族から迫害されることがなくなり、ダビデのときのように主を見上げて生きていくのかと思っていましたが、現実はかなり違っています。エゼキエルの言うように、時が来るならユダヤ人が自分たちの不義を恥じることがあるのでしょうか?イスラエルが戦争ばかりしているイメージは30年ぐらい前のものです。国防も経済もうまくいっている平和なときに、サタンは落とし穴を用意しているのです。