エゼキエル47章 すべてのものが生きる

エゼ47:9「この川が流れて行く所はどこででも、そこに群がるあらゆる生物は生き、非常に多くの魚がいるようになる。この水が入ると、そこの水が良くなるからである。この川が入る所では、すべてのものが生きる」
進化論の世界でも「水」がキーワードとなっており、生命体の基本中の基本はまず水からというのが定説になっています。もし、宇宙で生命が存在する可能性がある星を探すなら、温度や空気の存在よりもまず「水」があるかを探すそうです。そういう意味では火星の地表には、かつて水が流れた痕跡があり、火星探査機「マーズエクスプレス」は火星の南極に液体状の水を観測したことがニュースになりました(2018年ヨーロッパ宇宙機関発表)。聖書の最初に、「光があれ(創1:3)」と神が言われる前にすべてに先んじて存在するものは「神(創1:1)」「やみ」「水(創1:2)」の3つです。エゼキエル神殿では神殿から水が流れ出し、この水の入るところでは、すべてが生きるとあります(9)。イエス様はサマリヤの女に「生ける水」があることをお示しになり(ヨハ4:10)、キリストを信じる者は「心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる(ヨハ7:38)」と言われました。黙示録の新天地では「渇く者には、いのちの水の泉から、価なしに飲ませる(黙21:6)」とあります。神と水といのちは、一線上にあり、「水」はいのちの源であり、いのちは神が持っておられるものです。