厚顔無恥

詩14:1「愚か者は心の中で、「神はいない。」と言っている。彼らは腐っており、忌まわしい事を行なっている。善を行なう者はいない」
後にパウロがローマ人への手紙の中で「義人はいない」と引用した箇所です(ロマ3:10)。主を恐れることがすべての悪を行うストッパーとなることができると思います。もし誰も見ていなくても、主がご覧になっていると確信するなら、恥ずべき行為は慎むようになるでしょう。クリスチャンでも理屈は同じです。何度も罪を重ねるクリスチャンは、信仰の確信が薄いのです。もし本気で信じているなら、見えなくても存在を確信できるはずです。「信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです(ヘブ11:1)」これはパウロが教える信仰の定義です。この中ではっきりと、目に見えないものを確信させる…と書かれています。権威ある者から隠れて何かをすることは、権威を恐れているからです。アダムもエバも罪を犯したとき、主から隠れようとしました。まだ主に対する恐れがあったからです。しかし何世紀も後に、人は平気で主の前で恥ずべきことを行うようになりました。クリスチャンは厚顔無恥であっては成らないと思います。