右というポジション

詩16:8「私はいつも、私の前に主を置いた。主が私の右におられるので、私はゆるぐことがない」
右は権威ある場所です。イエス様も昇天の後に神の右の座に就かれていることが書かれています(ロマ8:34)。たった2つしかないポジションですが、右という場所はとても大切な意味があるのです。世界の人口の約80%が右利きだとも言われています。聖書ではベニヤミン族が左利きのエキスパートだったことが書かれています(士20:16)。しかしベニヤミンの名前そのものは「右手の子」という意味です。右手という名前の一族に両手利きあるいは、左利きが多かったのは主のジョークでしょうか?英語では両手利きのことを「ambidextrous」と言い、野球プレイヤーを解説するときに使われる言葉です。普段の生活では右だの左だの気にしてはいませんが、ベニヤミン族のように、主の戦いになったときは両手が器用に使える兵士でありたいものです。自分は右利きだから、右のことだけやりたい…というなら、主は命じる内容を制限してその人を用いるでしょう。手や足の話ではなく、自分の右の座には確かに主がおられるという確信が、やがて「ambidextrous」となり用いられるようになるのだと思います。