義を学ぶ

イザ26:9「私のたましいは、夜あなたを慕います。まことに、私の内なる霊はあなたを切に求めます。あなたのさばきが地に行なわれるとき、世界の住民は義を学んだからです」
義とは何でしょうか?神そのものが義であり、真理であると聖書は教えています。人にとって義となるものは、神のそばから離れない人だと思います。義人は信仰によって生きる(ハバ2:4)とありますが、原文では「正しい人は、その信仰によって生きる」とも訳せ、正しさが信仰によることがわかります。信仰とはもちろん神を信じる心の力です。見えないものを確信できることが信仰だとパウロは言っています(ヘブ11:1)。神とともに歩み、神から離れないことは「義」なのです。ほんのわずかでも、心に迷いがあり神を疑うことがあるなら、その人は義から離れてしまっているのです。人間は決して義の存在になり得ませんが、義なるお方を信じる信仰によって義と見なされるのです。もし、世界の住民が義を学んだというならば、福音を信じ神こそ世界で揺るぎない正義なるお方だということを認めたという意味になるでしょう。正義など、時代の価値観や個人の考え方によって違うものだという人もいるでしょう。しかし、聖書はどんな時代でも、環境や習慣が変わろうとも絶対普遍でいつまでも続く価値観があることを教えています。主ご自身が永遠に変わることがないとおっしゃっているのです。普遍のものは実在するのです。