箴言7章 暗やみのころだった

箴7:9「それは、たそがれの、日の沈むころ、夜がふける、暗やみのころだった」
ある日、ソロモンは自分の家の窓から町を見下ろしていると、ひとりの「思慮に欠けた」若者を見つけます(6-7)。この男は女の家のほうに歩いています(8)。この表現はおそらく、現代で言う歓楽街へ向かったのだと思われます。そこで遊女風の女が現れ、彼を誘惑します(10)。「暗やみのころ」に「女の家」のほうへいくこと自体、すでに誘惑に負けている行為です。光の当たらない場所では、人は誰も見ていないと思い、自分勝手な行動を取るのです。ソロモンが神殿を完成させ、主の栄光が宮に満ちたとき、主の雲で祭司たちが仕えることができませんでした(1王8:11)。ソロモンは「主は暗やみの中に住む(1王8:12)」と言い、光で照らすことが神の本質であることを語っています。しかし、ソロモンの見た若者は、暗くなったらすぐに行動を開始したのです(9)。聖書では女が男を誘惑するような記述が多くあります。アダムはエバにそそのかされ(創3:6)、エバは蛇に誘惑されています(創3:1)。思慮に欠ける男は、女の誘いに乗り、彼女の後に従います(22)。ここで二人の利害は一致し、夫のある女は思慮に欠ける若者を主の道からはずしてしまいます。いくら知恵があっても、無理やり暗やみに入り、遊女のいる場所にいくなら、この若者のようになってしまいます。知恵があるなら暗やみに近づかず、遊女のいる家のほうへ向かって歩かないことです。