箴言11章 知恵はへりくだる者とともに

箴11:2「高ぶりが来れば、恥もまた来る。知恵はへりくだる者とともにある」
イスラエル分裂後14代目の王マナセのときに父ヒゼキヤの壊した異教の像を復活させることになります(2王21:3)。ヨシヤは祖父マナセの悪行をやめさせ、イスラエルにも呼びかけて律法の書の回復を計りました(2王23:2)。しかし、マナセのゆえにユダを主の前から取り除くという主の思いは変わりませんでした(2王24:3)。それほどマナセの行った罪に怒りを燃やしていましたが、そんなマナセも一度だけ主に立ち返るチャンスがありました。それはアッシリヤに囲まれ、マナセがバビロンに足かせをつけて連れて行かれたときのことです(2歴33:11)。そのときにマナセは父祖の神の前に大いにへりくだった、と書かれています(2歴33:12)。主はマナセの願いを聞き入れ、エルサレムに戻ることができました(2歴33:13)。このときマナセは知恵を得たのです。まさしくソロモンが語った箴言の通りです。どんな人でも、自分は人より優っていると思いたいものです。主はそのような人と共にいたくないのです。「主は心砕かれて、へりくだった人とともに住む(イザ57:15)、とあるようにへりくだるなら主はともにいてくださいます。