恐れることがすぐれた知性

ミカ6:9「聞け。主が町に向かって叫ばれる。―御名を恐れることがすぐれた知性だ―聞け。部族、町を治める者」
「知性」にあたるヘブル語は「tuwshiyah(トゥシヤ)」で、「本来あるべきもの」という意味もあります。御名を恐れることは、人間の本来あるべきすがただとするなら、いかにイスラエルの民が主を軽んじて、ほかの神に仕え多くの罪を犯してきたかがわかります。モアブのバラク王は預言者バラムを金で誘惑し、モアブに有利になるように預言するように工作しましたが、結局バラムは預言しませんでした(民23章)。しかしバラムは預言の代わりにバラムにアドバイスを与え、イスラエルの男たちがみだらなことをするように仕向けたのです(民25:1-2)。その場所がシティムです(5)。主を恐れず女に惑わされ、罪を犯した者たちは24000人だとあります(民25:9)。このことは黙示録の中にも忠告として書かれ(黙2:14)、いかに主 が嫌っているかがわかります。主を恐れることが知識の初めである、とは有名なソロモンの箴言ですが(箴1:7)、ここでは本来人のあるべき姿を「知性」とし、知性を持つ人がいかに主に喜ばれるかがわかります。