哀歌2章 これが、美のきわみと言われた町

哀歌2:15「道行く人はみな、あなたに向かって手を打ち鳴らし、エルサレムの娘をあざけって頭を振り、「これが、美のきわみと言われた町、全地の喜びの町であったのか」と言う」
出エジプトの時代、モーセ十戒をもらっている頃、イスラエルの民は金の子牛を作り乱れていました(出32:8)。それを近隣の部族は見ていました。聖書には「敵の物笑いとなっている(出32:25)」と書かれています。つまり、エジプトから数百万人単位で奴隷がいなくなったことや、葦の海を割ってエジプトを退けたことがうわさとなり、近隣諸国では注目の的だったのです。哀歌では、イスラエルが鎖につながれ連行されるのを見て、「あれほど贅を極めたソロモンの神殿や町の末か」とあざけると預言されているのです(15)。出エジプトのときも、ソロモンがイスラエルを確立させたときも、近隣諸国は何かとうわさを聞き、いったいイスラエルという国はどのような国なのだろうかと興味津々だったように思います。それが良きにつけ、悪しきにつけ神の信じる者たちの結末なのです。「主は企てたことを行ない、昔から告げておいたみことばを成し遂げられた(17)」とあるように、すべては主のご計画なのです。しかし、主が導いておられたのは、決して他の神を拝むことではありませんでした。