哀歌4章 主ご自身も彼らを散らし

哀歌4:16「主ご自身も彼らを散らし、もう彼らに目を留めなかった。祭司たちも尊ばれず、長老たちも敬われなかった」
エレミヤとエゼキエルはバビロン捕囚を経験しています。彼らは主が語った通りに預言しました。エレミヤにいたっては、あまりにも預言の内容が過激なために、宮廷預言者たちに嫌われ鎖につながれたりしました(エレ40:1)。そして、エレミヤはバビロンが攻めてくるまで宮にとどまったのです(エレ38:28)。このように攻められる様子はイザヤ、エレミヤなどに預言として与えられていますが、ユダの民がどのような扱いを受けたのかは書かれていません。哀歌の内容を見ていくとき、いったい捕囚に遭ったユダヤ人がどのような扱いを受けていたのかが垣間見えてきます。彼らは神殿の燃える火をくぐり、ススだらけでした(8)。とんでもない飢きんを経験し、剣で死んだ方がましだとあります(9)。誰からも招かれず「あっちへ行け」と突き放されるのです(15)。これらはすべては主の怒りが引き起こしたことです(13)。ユダの歴史の中で良い王と悪い王は約半数ずつで、アタルヤとマナセが主の怒りの引き金を引いたようです。主に捨てられるという前代未聞の経験をしたユダヤ人は、それでも主が選ばれた民なのです。