アモス7章 イスラエルの真ん中に垂れ下げよう

アモス7:8「主は私に仰せられた。「アモス。何を見ているのか。」私が「重りなわです」と言うと、主は仰せられた。「見よ。わたしは重りなわを、わたしの民イスラエルの真ん中に垂れ下げよう。わたしはもう二度と彼らを見過ごさない」
主が何かをしようとする際に、測る(あるいは計る)ということをなさいます。エルサレムを滅ぼそうとするときも「測りなわでこれを測り(哀2:8)」とあり、何かの基準で計画的に行われているように感じます。また、ダニエルは「メネ、メネ、テケル、ウ・パルシン」という謎の言葉が、壁に現れたとき、これを解き明かしています(ダニ5:25)。最初の「メネ」は、時間を計ることを意味します。「テケル」も目方を量るときに使う言葉です。このように、長さ、時間、重量をはかり、神は最終的な判断を下しているのです。アモスの見ているのは「重りなわ」というもので、水平を計るために大工などが使う道具です。もし、重りなわが垂直に垂れないで、傾いているなら、それはまっすぐではないのです。そのことを神への信仰の比喩のように語り、アモスは重りなわという道具を通してイスラエルが、いかにまっすぐな信仰を保つことができなかったか、と悟るのです。神がさばきを下すにも、神の定めた基準があるように思います。測りなわも重りなわも、何かしらの神の基準を計るものです。やみくもにさばきが下されるのではなく、神の測り、神の時間がそこにはあり、人間には到底理解できない忍耐と寛容が働いているのではないでしょうか。