創世記40章 それを解き明かすことは、神のなさること

創40:8「ふたりは彼に答えた。「私たちは夢を見たが、それを解き明かす人がいない。」ヨセフは彼らに言った。「それを解き明かすことは、神のなさることではありませんか。さあ、それを私に話してください」
ヨセフが夢を解き明かす人だということは誰でも知っていますが、ヨセフ自身も夢を見る者でした。兄弟たちに自分の作物の束が、兄たちの束からおじきをされるとか(37:7)、11の星が自分を伏し拝んでいる(37:9)などと、かなり過激な夢を見ています。それは兄たちにもすぐに意味がわかり、ヨセフを憎む要因になっています。この自分の夢の意味をもヨセフは解き明かしていたはずです。しかし、ヨセフがイシュマエルの商隊に売られたとき(37:28)、夢を軽々しく口にしてはいけないことを悟ったと思います。これがヨセフの成長の1段階目です。エジプトに来てから夢を解き明かすチャンスがきます。このときに「それを解き明かすことは、神のなさることではありませんか(8)」と言い、兄たちに「どうか私の見た夢を聞いてください(37:6)」と言った態度とはだいぶ違ってきています。夢を見ることも、解き明かすことも神のわざであることを理解し始めたようです。ただヨセフは夢の解き明かしをしたときに「私を思い出してください(14)」と、解き明かしを自分の利益のためにしようとしました。そのために献酌官長はヨセフのことを忘れてしまうのです(23)。それも神のご計画だったように思えます。