エレミヤ23章 預言者は夢を述べるがよい

エレ23:28「夢を見る預言者は夢を述べるがよい。しかし、わたしのことばを聞く者は、わたしのことばを忠実に語らなければならない。麦はわらと何のかかわりがあろうか。―主の御告げ―」
イザヤやエゼキエルのように幻によって預言する預言者もいました(イザ1:1、エゼ1:1)。ここでは「夢」を見て預言する者についてのさばきです。「夢」はヘブル語「chalown(ハローン)」で、「幻」は「chazown(ハゾーン」です。神が預言者を通して知らせるのは「幻」のほうです。さらにもう1つのパターン、すなわち神のことばを直接聞き伝える預言者もいます。その預言者は忠実にそのことばを伝えなければなりません。ヨセフやダニエルのように夢を解き明かす者がいるのは間違いありません(創41:25、ダニ1:17)。しかし、夢を見ることと解き明かすことは同じではありません。夢を見て、それを神のわざだと思い込み、聖書の箇所に当てはめてみて解き明かしたと思ってはならないのです。エレミヤは夢見る預言者は夢を語ればよい、と言います(28)。神のことばと夢は、麦とわらほどの差があるのです。本物の神のことばならば火のようで、岩を砕く金槌のようです(29)。それゆえに預言者たちはこぞって、自分のことばこそが神が語られたものだと「主の宣告」というタイトルをつけたがるのです(33)。しかし、この行為こそ神の忌み嫌われるもので、もし預言者が「主の宣告」を使うなら、厳しいさばきが待ち受けています(34)。