創世記41章 神の霊の宿っているこのような人を

創41:38「「そこでパロは家臣たちに言った。「神の霊の宿っているこのような人を、ほかに見つけることができようか」」

パロはヨセフ自身に能力があると認めず、彼には神の霊が宿っていると考えました。それは、「私ではありません。神がパロの繁栄を知らせてくださるのです(16)」と、あらかじめパロに夢の解き明かしは神のわざであることを知らせていたからです。ヨセフが牢獄にいるときにも「夢を解き明かすことは、神のなさることではありませんか(40:8)」と献酌官に、たとえ夢を解き明かせたとしても、それが神のわざであることを告げていました。ヨセフは聡明で神からの知恵もあり、最初にエジプト人の主人の家にいたときも全財産を任されていました(39:4)。また、言われなき罪で牢獄に入れられたときも、主がともにおり監獄を管理する仕事をしていました(39:22)。このように、ことあるたびにヨセフは窮地に追いやられますが、主がともにおられ、環境こそ良くはありませんでしたが管理能力を高めていったのだと思います。パロの前に出るきっかけも、牢獄での夢の解き明かしが功を奏したのです。徐々にヘリくだりを学んでいったヨセフは、兄たちに畑の束が自分の束におじきをした(37:8)というような話を簡単に口にするようなことはなくなっていたと思います。パロに神の霊が宿っていると見られるほど、人格も成長したのです。