マタイ13章 彼らにたとえで話すのは

マタ13:13「わたしが彼らにたとえで話すのは、彼らは見てはいるが見ず、聞いてはいるが聞かず、また、悟ることもしないからです」
これがイザヤ書の預言の成就だということをイエス様みずからが言われています(14-15)。イザヤ書では「この民の心を肥え鈍らせ、その耳を遠くし、その目を堅く閉ざせ。自分の目で見ず、自分の耳で聞かず、自分の心で悟らず、立ち返っていやされることのないように(イザ6:9-10)」とあります。人の心が肉の欲に支配されている限り(エペ2:3)、簡単に悟ることができないようになっています。それは神ご自身がそのように設計されたからです。種まきのたとえを聞いて弟子たちはすぐにイエス様に、なぜたとえで話すのかを聞いています(10)。おそらく弟子たちはもっと福音の奥義を聞かされていたのだと思います(11)。種まき(3)、毒麦(24)のたとえなど7つのたとえが話されていますが、すべてに共通するのが良いものと悪いものが共存していることです。聞く耳のある人たち(43)が正しく理解できたとしても、聞いても悟らない人も一緒にイエス様の話を聞くのです。イエス様の使われた知恵は、御国の真実を聞き分ける人とそうでない人を、たとえ話という方法を使って見極めたことです。それこそが天の御国の真実であり、天の御国に入れるのは選ばれた正しい者だけだということです。イエス様のたとえ話そのものが、天の御国を象徴しているのだと思います。