マタイ19章 良いことについて

マタ19:17「イエスは彼に言われた。「なぜ、良いことについて、わたしに尋ねるのですか。良い方は、ひとりだけです。もし、いのちに入りたいと思うなら、戒めを守りなさい」」
「良い」のギリシャ語は「agathos(アガソス)」が、使われています。アダムとエバが善悪を知る木の実を食べて以来(創3:6)、人は善悪を判断するようになりました。何が良いか、悪いかは人の主観によって変わってきます。そこで神は律法を人に与えて、何が正しいかの基準を定めたのです。律法の根幹にあるのがモーセ十戒です(出20章)。イエス様は何か「良いこと」をすれば永遠のいのちが得られると考えている青年と出会いました。「良い」を語りたいのなら、絶対的に不変の「良いお方」、すなわち神の戒めを守ればよいだろう、とイエス様は告げます。すぐさまこの人は「どの戒めですか(18)」と尋ねています。かなり自信がありげな様子です。殺人、姦淫、偽証、不敬、隣人を愛すこと、これらはこの人にとっては守られている戒めでした。良いお方の戒めを守って、いのちを得るのならこの人は合格です。しかし、イエス様は十戒にはないことを言うのです。持ち物を売って貧しい人たちに与えなさい(21)…このことだけは、永遠のいのちに入れるとしても難しいことだったようです。聖書には「悲しんで去って行った(22)」と書かれています。何をすればよいかを示されたのに、彼にはそれが実行できなかったのです。