ヘブル6章 いばらやあざみなどを

ヘブ6:8「しかし、いばらやあざみなどを生えさせるなら、無用なものであって、やがてのろいを受け、ついには焼かれてしまいます」
マタイには毒麦のたとえが書かれています。ある人が良い地に種を蒔いたが、眠っている間に「敵」が来て、毒麦を蒔いてしまいます。しもべたちが抜き集めようとしますが、主人は収穫まで待つように言います(マタ13:24-30)。土地には神が平等に雨を降らし、太陽を上らせてくださいます(マタ5:45)。太陽も雨も祝福ではありますが、それを良い作物を作るために使うのなら有益であり、神も喜ばれると思います(7)。いばらやあざみは、良い作物の栄養を奪い、収穫の妨げになります。それがもし「敵」のしわざなら、なんとかしていばらやあざみを生えさせないようにしなければなりません。心に隙があるならば、サタンは良い作物の種のように入り込んできます。それはパン種のようなもので、放っておくならずっと膨らんでいきます(マタ16:11)。いばらもあざみもパン種も小さいうちに芽を断たなければなりません。育ってしまってからはのろいを受け、焼かれてしまいます(8)。キリストを信じることは救いではありますが、救われたからと言ってそのまま立ち止まることはできません。救われた当時の熱心さを保ち、十分な確信を持ち続ける必要があります(11)。