エゼキエル9章 人々の額にしるしをつけよ

エゼ9:4「主は彼にこう仰せられた。「町の中、エルサレムの中を行き巡り、この町で行なわれているすべての忌みきらうべきことのために嘆き、悲しんでいる人々の額にしるしをつけよ」」

主は過越の法則を考えており、ある時間が経過すると正しい者とそうでない者を印をつけて区別されています。最も有名なのは出エジプトのときに行なわれた血を2本の柱とかもいに塗る行為です(出12:7)。それはサタンが多くの人を惑わすためで、イエス様の時代には毒麦のたとえでこのことが説明されています(マタ13:36)。それによるならば、同じように種を蒔いても麦だけが育たず、毒麦も一緒にはえてきます(マタ13:27)。畑の主人は毒麦を収穫まで放っておくように言い、収穫のときに毒麦を焼いてしまうのです(マタ13:30)。毒麦はサタンに惑わされた者たちのことで、良い種は御国のこどものことです(マタ13:39)。また、黙示録では4人の御使いが神のしもべたちの額に印を押し終わるまで、地にも海にも木にも害を与えてはいけない(黙7:3)とあり、おそらくエゼキエル書からの引用か、あるいはエゼキエルの預言の詳細を示しているかと思われます。黙示録では14万4千人のイスラエルの部族から選ばれた各1万2千人が額に印が押されることになっています(黙7:5-8)。神は大事な場面では正しい者をさばきにあわないように過越することを聖書を通して何度も語られています。