出エジプト19章 神は声を出して、彼に答えられた

出19:19「角笛の音が、いよいよ高くなった。モーセは語り、神は声を出して、彼に答えられた」
主とモーセが語ることは周知の事実ですが(3:4)、それ以外の民にはそのようなことはないようです。ヤコブは神を見たのにいのちを救われました(創32:30)。また申命記には「主の声を聞くならば、私たちは死ななければなりません(申5:25)」とあり、神の声は直接聞けないようになっています。この章では民は着物を洗い(11)、山との境界に触れることが禁じられています(12)。手に触れるなら殺されてしまいます(13)。見ても、聞いても、触ってもだめならどうすれば良いのでしょうか?やがて主はモーセに幕屋を作るように命じられます。その中で至聖所に入った者は、契約の箱の向かい合ったケルビムの翼の合間から主の栄光を見ることができました(民7:89)。モーセの幕屋ができる前は山頂だけが唯一神と交流できる場所でした。幕屋のように仕切っていないオープンな空間では、民が主がどのようなお方か知ろうとしても不思議ではありません。しかし、見た者は殺されてしまうのです。エジプトであらゆる不思議をして見せた神がイスラエルを導いたのは間違いありません。それでも神が友達になったわけではないのです。救い出してくださった方は、あくまでも神であり下世話な興味をもって接するべきではないお方です。