出エジプト23章 憎んでいる者のろばが

出23:5「あなたを憎んでいる者のろばが、荷物の下敷きになっているのを見た場合、それを起こしてやりたくなくても、必ず彼といっしょに起こしてやらなければならない」
「憎んでいる」のヘブル語は「sane(サネー)」で、「嫌う」とか「敵対する」の意味があります。ろばが何らかの理由で倒れ、背負っている荷物の下敷きになった状況がそんなに多くあるとは思えませんが、問題はろばの所有者にあります。この命令には、自分が嫌っている相手のろばなら、手助けしないことが前提となっています。イエス様は100匹いるうちの1匹の羊が迷っても探しに行くだろう(マタ18:12)と言われ、当時の家畜の大切さが垣間見えます。これは4節にある敵の牛とかろばが迷子になっているのを見つけたら、捕まえて返してやりなさい(4)という命令に似ています。「敵」とか「憎んでいる者」とか、神がそのことを前提で話していることにも驚かされます。ヨセフがエジプトで兄弟と再会して、ヤコブを連れにカナンに帰るとき「途中で言い争わないでください(創45:24)」と言っています。ヨセフもまた兄弟たちの間で当然起きるであろう争いを予感していたのです。どんなに出エジプトができ、奴隷から解放され、約束の地に導かれようとも、日常では人の営みが絶えることはありません。日本の「村八分」ということわざは、どんなに嫌われていても火事と葬式だけは関わるというものです。聖書もまた互いの感情を捨てても人としてやるべきことを教えています。