使徒20章 どんなことが起こるのかわかりません

使20:22「いま私は、心を縛られて、エルサレムに上る途中です。そこで私にどんなことが起こるのかわかりません」
なぜこのようなことをパウロが言ったのかというと、アンテオケで御霊に示されてエルサレムに行くことになっていたからです(19:21)。同時に「私はそこに行ってから、ローマも見なければならない(19:21)」と語り、この頃からローマ皇帝の前での証しをビジョンとして抱いていたことがわかります。御霊の導きはパウロには漠然と示されており、エルレサムに行くことはわかっても、そこで何が起きるかは示されていないのです。ところが、ツロにいた弟子たちは御霊に示されて、パウロエルサレムに行くなら良くないことが起きると感じていました(21:4)。さらに、カイザリヤでは預言者アガポが、自分の両手、両足を縛って、パウロがこんな風に異邦人に渡されると具体的なイメージを聖霊によって告げられたとパウロに告げます(21:11)。それぞれ、全員が聖霊によって示されています。同じ聖霊に導かれるとしても、何が示され、その結果についてまでは聖霊は判断していないように感じます。聖霊が見せたビジョンを恐ろしいと感じる人もいれば、パウロのように「死ぬことさえも覚悟しています(21:13)」と強い信仰を見せる者もいるのです。パウロは何が起きるかわからないと言っていますが、なわめと苦しみが待っていることは知らされており(23)、行く先々で弟子たちに忠告されても、そのたびに信仰を強くしていったのかもしれません。